沖縄県民葬その2 翁長雄志前県知事 さようなら

2018年10月12日

翁長宣知事は命をかけて闘ってきた
 施政権返還と自治権拡大の声に対してキャラウェイ高等弁務官は、沖縄の自治は「神話」であるとうそぶいた(1963年3月4日)。当時の県紙は、高等弁務官が法であり、独裁者として植民地支配を恥知らずに言ってのけたと伝えています。この傲慢な統治に対して、現在の菅官房長官は同じであると翁長さんは厳しく糾弾したことがあります(2015年4月の初会談で)。この日の会談から安倍政権との闘いが始まったと思います。
 翁長知事は県知事就任前の那覇市長時代に、10万人の県民が参加した「教科書検定意見撤回を求める県民大会」に、市町村を代表して参加したり、沖縄戦での「集団自決」(集団強制死)で日本軍の強制はなかったことにしようとする動きに「歴史を曲げてはいけない」と警鐘を鳴らしてきました。
 これらの問題については「保革の対決型」の政治ではだめだと主張し、今日のオール沖縄を結成する原点になったものと思います。
 2013年1月には、県内41市町村長、議長が「オスプレイ」の県内配備反対で統一した「建白書」をもって安倍政権に要請したことがあります。沖縄県として全市町村長、議長が全員で上京し、集会、デモ行進に参加するというかつてないことでもありました。ここでオール沖縄が動き出したと思います。デモ行進の途中、銀座あたりでは代表団に対して「中国のスパイは帰れ」などと口汚い野次を浴びせられることもありました。どんな気持ちで沖縄に帰られたのかと心配もしました。
 知事就任中の2106年4月には、うるま市の20歳代の女性が元米海兵隊員にレイプされ殺される事件が起きました。このときは、「悲しい事件が今後も繰り返される」と厳しく米軍と日本政府に抗議しています。
 2016年12月には、名護市安部の海岸にオスプレイが墜落しました。4200人が結集して緊急抗議集会が開かれた会場で、翁長県知事は、海上保安庁、県警察の捜査ができない日米地位協定を批判。墜落の原因究明がなされないまま、6日後には飛行訓練を再開した米軍と日本政府に「政府は、沖縄県民を日本国民と見ていない」と強い怒りを表明しました。
 2017年10月には、米軍普天間基地所属のCH53大型輸送ヘリが東村の民間地に墜落・炎上。住宅から200mしか離れていない、あわや大惨事になるところでした。
 名護市安部の集落から500mの海岸に、機体の原型をとどめないくらい大破したのにもかかわらず、不時着だの不時着水だのと日米両政府は発表し、墜落隠しを行い、東村の事故でも飛行中に機体から火を噴きだし墜落したものを不時着と発表するなど、沖縄で事故が発生すれば情報操作をしています。米軍のトップが、「集落に墜落しなかったことは、感謝されるべきであろう」とうそぶく態度に、日本政府は一言も抗議もせず、飛行訓練を認めることは、県民感情から絶対に許されることはありません。ほかにも、米軍ヘリ伊計島南東の海上に墜落(2015年8月20日)、津堅島訓練水域で事前通告なしのパラシュート降下訓練(2017年5月ほか)、普天間第二小学校の運動場にCH53ヘリの窓が落下(2017年12月13日)、宜野湾市の緑ヶ丘保育園の屋根にヘリの部品落下など、子どもたちや県民の命が常に危険にさらされています。
 翁長県知事が辺野古新基地建設を断固止めると常々発言されるのは、このように子どものいのち、住民のいのち、海人のいのちが脅かされ続けている実態があるからこそ、命をかけて闘い貫いたのであり、この姿を県民は承知していました。翁長県知事は、安保条約を国民の80%以上の人が賛成するのであれば、ひとしく日本国民全体で米軍基地を受け入れてほしいと強く望んでいました。
 チムティーチナチ、クワウマガヌタミー、チャーシンマキテーナイビラン(心を一つに子や孫のためにどうしても負けてはいけない)   私たち平和フォーラムも翁長県知事の心を継承して、辺野古新基地建設ストップまで闘おう!

沖縄だよりNo.71(PDF)

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